お金は大事だよ
どうもこんにちは
最近は暇さえあれば麻雀プロの対局動画を見て過ごしてます。
好きな雀士は小林剛
Kindleで著書「スーパーデジタル麻雀」を買いました。
これ読んで麻雀仲間をフルボッコにしてきます
さて話は変わりますが、皆さんはどんな仕事をしていますか?
世の中には色々な稼ぎ方がありますが、どれにもメリットデメリットが存在します。自分が経験した事のある稼ぎ方はそこまで多くないですが色々考えてみましたので書いていこうと思います。
【競馬.馬券投資】
安定度★
難易度★★★★
年収入★★★
リスク★★★
自由度★★★★
ほとんどの人が存在くらいは知っていると思いますが、競馬の着順を当てて配当をもらう国営ギャンブルです。
稼げる上限額は年間数千万が上限でしょう。まだ記憶に新しい3年間で一億五千万も稼いだ人物の裁判も勝訴が出た事でハズレ馬券は経費として認定されました。
しかし、アルゴリズムを構築してシステム化された買い方でないと認められませんので気をつけてください。
デメリットとしては生き物が相手だけに安定度は低いです。
趣味程度に行うのがオススメですね。
【パチンコ.パチスロ】
安定度★★★
難易度★★
年収入★★
リスク★★
自由度★★
私も長くお世話になりましたが副業界の中で一番簡単なジャンルです。競馬は生き物が相手だけに難しいところがありますが、こちらは機械なので確率通りにしか動きません。収支が月単位では荒れる事はありますが、数をこなせば年単位では負けることはないでしょう。
税金がかからない面でもかなり有利です。税務署に聞きに行っても鼻で笑われます。
ただしデメリットとしては稼げる上限額少なく休みなしで働いても月50〜80万がプロとしては限界値でしょう。
【FX投資】
安定度★★
難易度★★★★★
年収入★★★★★
リスク★★★★★
自由度★★★★★
簡単に言うと為替取引です
これはなんといっても資金さえあれば稼げる上限が無いのが強みでしょう。ただししっかりとリスクヘッジしないと大変なことが起きるので難易度は高めに設定しました。今現在、私もデモトレードで2年弱行ってますが、ようやく最初の頃の負債が戻ってきた状態です。
安定度もパチンコパチスロより劣ります。
【サイト制作.広告収入】
安定度★★★★★
難易度★★★
年収入★★★★
リスク★
自由度★★★★★
これは皆さん見た事あると思いますが、世の中にあるサイトの大半がこれです。少し前まで流行っていた「漫画村」は月収6000万程度と言われて稼げる上限はそれなりにあります。
まずサイトを作っても人が来なければお金は発生しないので収入を得られるまでかなりの時間がかかりますが安定すれば収入が落ちにくいのもメリットです。
少し前の仮想通貨バブルの頃、こちらも仮想通貨記事バブルだったのですが私は乗り遅れました...
【情報販売】
安定度★★★
難易度★★★★
年収入★★★
リスク★★
自由度★★★★
こちらは自分で作った教材の販売が基本ですが、コンサルやセミナーもここに含みました。
情報販売は在庫管理が無いため比較的リスクは少ない方になります。
【転売業】
安定度★★★
難易度★★★
年収入★★★★
リスク★★★
自由度★★★
副業の中でパチンコパチスロに次いで即金性のあるジャンルです。覚える事は山のようにありますが、頑張れば年億単位も可能です。その際は在庫リスクをしっかりしないとこれもまた大変なことになります。
【サラリーマン】
安定度★★★★★
難易度★
年収入★★
リスク★
自由度★
やはり安定度はNo.1のジャンルですね。選ばなければ誰にでも職に就く事が出来ますし保証もしっかりしています。
ただ、稼げる金額は少なく20代では月収25万〜40万程でしょう。年功序列の会社がほとんどで大企業のトップでも年2000万辺りだと思います。何より自由度が無いに等しい。
会社の平均寿命は30年と言われていますので、よほどの大企業ではない限り潰れる確率はそこそこ高め。収入源を一つにしとくのは危険なので、お金以外に自分に技術が付く職種が良いかと。
意外とデメリットが多いジャンルですが、会社に拘束という事を我慢できるならば文句無くオススメ出来る稼ぎ方になります。
まだまだ世の中には稼ぎ方があると思いますがとりあえずこの辺で。
何を選ぶかはその人の能力や性格にもよると思いますが、大事なのは将来性を含めてメリットとデメリットを考えること。周りに流されずに自分で考えて、それが自分に合っているかを考える事だと思います。
親の喜ぶ事、例えば安定した職業を目指している方も多いと思いますが、それは20〜30年前の感覚なので出来れば無視した方がいいです。あの頃とは全く状況が違うのです。
面白いコンテンツは続かない
こんにちわ
先日、久し振りに身体を動かしました。
もう28歳ですが10代の頃と特に何も変わってないと思っていましたがどうやら思い過ごしだったようです。
ですので腰痛と戦いながらの投稿です。
暇さえあればTwitterを見て友達としょうもないやり取りをしている。マーチングのアカウントには投稿が少なくなったがそれでも割と見ている方で、もはやTwitterが生活の一部と言ってもいい。
そんな私にもTwitterの前身とも言うべき2chをやってる時期があった。まだ高校生の頃で、周りがネットに名前を書いたり、ましてや自分の写真をアップロードするなんて考えられない時代だ。『誰もが匿名で書き込める』そんなどう考えても面白そうなコンテンツに興味を持った。『2ch』と聞いてマスコミの作ったイメージだけで嫌悪感を持っている馬鹿はここから先は読まないほうがいいだろう。
もちろんつまらない書き込みも多かったが、才能の無駄遣いを感じさせる笑いや、その能力を自虐的な笑いに変える天才に惹かれてハマっていった。共通の趣味を通じて遠慮なく汚い言葉で話しあう場所がたまらなく好きだった。
現在のTwitterでの私の姿は当時にルーツがあると言っても過言ではない。
しかし2chもいつしか見なくなった。面白いコンテンツにはそこに入りたいと人達は集まる。そうして面白かったものが改悪化されてオワコン化されていく。今のTwitterにも同じ事が言えるだろう
基本的にどちらの媒体も好きなことを書けばいいし、各々の主観に他人が介入する余地は無いと思っている。一つ違う点はTwitterには人間関係という点がつきまとうので、それを気にする、気にしない、は人それぞれだ。私は気にしないで便所の落書きを続けたい。見たくなければ見えなくする方法はいくらでもあるのだから。
本当にダメな事を書けば2chもTwitterもプロバイダに身元を請求されたらバレるからそこは同じである。
なにが正解なのかは分からないが、みんな自分の主張を大事にしてほしい。それに賛同する人がフォロワーとして集まってくる。その人たちと交流するのが本来の使い方であるのだからそれでいい。もう遅いかもしれないが、それらがTwitterオワコン化の流れを食い止める一つの方法である。
学校などでもTwitter禁止にしているところは少なく無いだろう。私はそれに苦言を呈したい。なぜ禁止にするのか、理由はいくつかあるだろうが「Twitterで問題起こすなら卒業してからにしてくれ」そう聞こえてならない。
社会に出るとネットを避けて通るのは不可能な世の中になっているのに学校で使い方を教えようとしないのはなぜなのか、確かに使った事が無いものを教えられないわけで、それに対策を取らない先生ないし教育委員会に問題があると思う。
もう少し時間が経つと先生の世代交代が起こって、授業でもITについて詳しく教える時代が来るだろう。プログラミングを通じて論理的思考力を身につけるのが必要な時代になっているのに、今の教師はアルゴリズムの意味さえ理解していない。
iPhoneで調べれば答えがすぐわかる事を覚える時代はもう終わっている。今の学生にはそこを少しだけでいいから考えてほしい。
ながながと書いたが、何が言いたいかがわからなくなってきたのでこの辺で
ホワイトデーのお返し
こんばんは。僕です。
ウェブログを解説して3記事目にしていきなりネタが尽きてしまい『はてなブログ』さんの『今週のお題』からの投稿です
今週のお題「ホワイトデー」
ざっくりとしたイメージでしか知らないが、ホワイトデーとは、バレンタインデーに女性から頂いた人がお返しにお菓子を差し上げる日ということで話を進める。実際の意味等はどうでもいい
結論から言うと、私はホワイトデーに物を渡した事は一度もない。
そもそもWデーやBデーなんてのはお菓子メーカーの作った販売促進日に過ぎない。。そんな事をドヤ顔でツイートする素人童貞をたまに見かけるが、だいたいのイベントはある程度の経済効果を期待して作られている。的外れな意見もいいとこ
私が言いたいのはそこではない。
誕生日、記念日、お祝い等、物をあげる文化は数あれど、その都度何をあげたら良いのかがわからない。「これは喜ぶだろう」と思いプレゼントした物でも、受け取った側にとっては要らない物かもしれない。要らなくてもニコニコしながらお礼をしないと変な人や冷たい人と処理されるのが現状である。
プレゼントをあげる人の思考を考えてみたが、何も考えずに、周りがあげてるからあげる、周りが祝ってるから祝う、と何も考えずに動いているのはそれはもうなにかの信号で操作されているような、中身のないゾンビに見えることがある。
話を根底から覆す話をするが、先日、某たけし君に引っ越し祝いをプレゼントしてきたところだ。最初から嫌がらせのつもりで肩の高さまである馬鹿デカい観葉植物を買って部屋に設置しておいたのだが、これが思いの外部屋にマッチしてしまった。気に入ってくれなければ良いのだが、、、
一つ後悔している事がある。彼に見せた時に「これは水やりが必要か?」と聞かれて、どう見ても造花だったので必要ないと答えたが、「週に一回は定期的に宜しく」など適当な事を言っておけば、彼なら一年くらいは気付かず造花に水をやり続けてただろう。
考えただけでも笑ける。
話は戻るが、結局プレゼントは何が欲しいか聞いてから買うのが最善の策だと思う。それか現金やAmazonギフト券をプレゼントのもありだ。サプライズで渡したい人の気持ちも分からなくもないが、サプライズしてくる人は毎回してくるのでそんなにサプライズではない。するなら記念日や誕生日は避けたほうがいいと思う。
あとがき
あくまでも私の主観なのでお気になさらず
冒頭でバレンタインデーの略語をBデーと書いたのは正式にはVなのは後から気づいたが、言葉なんて伝われば良い。そんな小さな事気にするなよ!
高校卒業する君たちへ
このタイトルに意味はない。自分の腐りきっていた10代を書いていくので参考にしてほしい。
私が高校卒業したのもちょうど10年前になる。
あの頃は勉強も興味がなくて、ギリギリ卒業出来るほどの成績をキープしつつ過ごしていた。
吹奏楽部に在籍していたからなのか、帰宅部連中よりボーナス得点があったように思えるのは私立校の特権だろう。
進路もとくにこだわりもなかったので同じ学校法人の短大指定校を取得。大学受験や就職活動に悲鳴をあげる友達を横目に、私は机にヨダレを垂らしながら卒業までの授業をこなしていた。気をつけるべきは試験での赤点回避と遅刻欠席ぐらいである。(あと2回遅刻すれば留年)
無事卒業
とくに卒業式などで感動する性格でもないのでその辺の記憶が曖昧である。ちゃんと出席したかも怪しい所で、「休んでたよ」と友人に言われれば信じてしまう気がする。
流石に出席していたと信じたい。
卒業してから短大の入学式までは2.3ヶ月空いている。周りの人達は卒業旅行や車の免許を取りに行ったりしていたと思うが、私は玉を弾いてお金を得る遊びをしていた。そして...
『悪魔との出会い』
パチンコ(以下悪魔)とは日本にある中毒性のあるギャンブルの一つだ。悪魔人口の99%の人達は負けていると言われている。しかし、どの様な考えで思ったのかは謎だが、当時「これは稼げる」と思い気づけばアルバイトをやめていた。この辺の詳しいことは別記事で書こうと思う。
悪魔に没頭しながらダラダラと過ごし、気づけば入学式。こないだ卒業したばかりの高校の学園ホールで式は行われたので、なんの目新しさもなくここもあまり記憶はない。もしかしたら妄想かもしれない。唯一覚えてる事は。式が終わってそのまま友人と向かったパチンコ屋(以下悪魔城)で5万円負けた事だけだ。この間辞めたアルバイトの最期の給料で、この後、血の涙を流しながら家路についたのは言うまでもない。
短大生活も始まり、授業終わってからパチンコで小銭を稼ぐ、といった普通の人とは違った短大生活を過ごしていたがとくに焦りもなく勉学にもそれなりに励んでいたと思う。
二ヶ月程経ったある日、事件が起こった。
短大に入学して初めて寝坊してしまったのだが問題はそこではない。時刻は10時頃、いつもの様に原付で学校に向かっていると道中右手に見えてくる派手な建物、
悪魔城である。
いつも通るのは開店する前なので見向きもしなかったが、おじさん達(以下魔物)が開店待ちで並んでいるのが見えて気づけば右にウィンカーを出していた。
一日くらいまぁいいかと思い、学校サボっていざ悪魔城へ。これが依存症になった魔物を惹きつける悪魔城の怖さである。
それからというもの、朝から学校へ行く日よりも悪魔城へ向かう割合が高くなっていた。これはこれで楽しい時間ではあったが、このままではダメだと思い入学から三ヶ月が経とうとしてる頃、初めて真面目にこれからの人生どうするか真剣に考えた。平日の朝早くから悪魔城にお金を納めに行く養分となる魔物を見て、この人達にはなりたくないと考える様になり、ある決心をした。
学校に退学届の提出である。
悪魔城に通いたいから学校を辞めたと言えばネタになるからそれでもいいが、実際は違う。学びたい事とは違ったという事。高校生の頃に何も考えずに進路を決めてしまったのが原因である。入学から三ヶ月、異例の速さで退学したことによって次の年から指定校推薦が一枠減った事は後から聞いた。
そこからお金を貯めて専門学校に通うために悪魔城へ通うわけだがこの辺の話を書くのはもうしんどいので割愛する。
何が言いたいかというと、入学してしまったからと言って頑張って卒業しなくてもやりたい事と違うと思ったらすぐに辞めたほうが良い。
学費等のお金は勿体ない気もするが、逆に言うと失うのはお金くらいなので後から取り返せる。損切りって言葉もあるしね。
何もやりたい事が無い人は今の大学で探すのが良いと思います。
本当に何が言いたいかというと
書くの疲れたってこと